- Home
- おしらせ, 営業メールアーカイブ, 求職者コンテンツ
- 営業メールアーカイブ|令和3年3月号
営業メールアーカイブ|令和3年3月号

みなさま、こんにちは!窪田です!
寒い日に暖房強めの部屋でハーゲンダッツを溶かし
暑い日に冷房強めの部屋で豚骨ラーメンを冷ます
環境問題を語る資格がない男、窪田です・・・ッス。
○東日本大震災の余震
先日2月14日、大きな地震が起こりました。報道によると東日本大震災の余震とのことでまさか10年越しに余震があるものかと驚くのと同時に、地震は地震なんだからどうでもいい。というツッコミをしてしまうほど地震に慣れっこになってしまっている自分の危機感のなさに呆れています。
いま、1年間も続くコロナ禍に地震のような派手さはないこともあり
静かに何事もない顔で続く災厄に僕は完全に慣れっこになってしまっている気がします。
今から10年前、2011年の3月と言えば未だ記憶に新しい「東日本大震災」が発生した月です。
それよりも更に時代を遡って震災の記憶を辿ります。
ドッカンぐらぐらという本を買えと言われました。大阪で大きな地震があったそうです。当時小学生だった僕にはとても想像のできることではなく、ドッカンぐらぐらという言葉の響きだけが今日まで頭の中に残っていました。
今から26年前の1995年(平成7年)1月17日。
その日は後に「阪神淡路大震災」と名付けられました。
当時小学生だった僕にはどんなに悲惨な震災だったのか、話に聞いてもピンときませんでした。学校では連日「ドッカンぐらぐら」というタイトルの本を半ば強制的に買わせていましたが、その本を僕が読むことはありませんでした。
震災が起こった日のことを理解する前に大阪からの転校生が何人かいて、後に話を聞いて疎開してきたことがわかったのでした。
その友人が眠るときには避難バッグが枕元にないと眠れない。という話を聞いた時、ようやく僕の中に静かな恐怖が湧き上がってきたのでした。
平成を襲った災害は少なくありません。
僕の記憶に残っている震災だけでもこれだけあります。
時節をわかりやすくするため、ホークスの出来事と並べておきますね^^^(コラ)
1995年 阪神淡路大震災 福岡ダイエーホークスは王監督が1年目のシーズン
2004年 新潟県中越地震 シーズン終了後ソフトバンクに売却された
2005年 福岡県西方沖地震(これは僕が被災しました。)
勝率1位だが、惜しくも2年連続ポストシーズン敗退
2011年 東日本大震災 8年ぶりの優勝ソフトバンクになってからは初優勝
2016年 熊本地震 工藤監督2年目 日ハムに11・5ゲーム差をひっくり返され敗退
2018年 北海道胆振東部地震 多数の負傷者を出しながらオープン戦を迎えるもシーズン2位、日本シリーズでは優勝と勝鬨をあげた。
逆にわかりにくくなってしまいましたが
たかが26年の中で大きな自然災害がこれだけ起こっています。
10年に一度どころではありません。
繰り返す余震に、いつも揺れている感覚を覚えるくらい頭が痺れてしまい
眠れない夜を怯えながら過ごした人も少なくないでしょう。
社会は豊かですが、自然は理不尽です。
僕たちの生きる社会は寛容になりました。贅沢を望まなければ生活に不自由することはなく、様々な価値観を認められるようになり、多くの人がより自由に生きることを守ってもらえる時代に発展しました。
その社会では「我慢、忍耐、根性、気合。」そういった昔の人々の精神の支えや美徳だった価値観を否定できる機会がとても増えたように思います。そして、それらを堂々と否定できる社会というのはやっぱり寛容で、豊かであることを象徴しているのだと思います。我慢忍耐がなければ生きることが出来ない時代があったのですから、僕たちは幸運だなとつくづく思います。
一方で、自然は全く寛容ではないし理屈とは縁がないとも思います。
ただやってくる存在で、そこに理由も合議もありません。
ただやってきて、ただ奪うのが震災です。
そこに理性はないし、話し合うことでストップしてくれたりもしません。
それでも僕たちは、地球の中で生きていくしかないのです。自然にはいい面がたくさんあります。僕たち人類に無限の可能性と豊かな恵みを与えてくれますが、それと同時に圧倒的に理不尽でもあります。
理不尽な自然と共存するために必要なこと
それは我慢、忍耐、根性、気合。
そういった前時代的な精神論が必要な瞬間が命を繋ぎ止めることもあると静かに考えています。
飢えに耐えられないなら我慢しなくていい。と言ったところで、どこからか勝手に食料が湧いてくることなんてあり得ません。
不自由な仮住まい、いつまでもこんな所にいることない。と言ったところで快適な住居が何もないところから突然降ってくることもありません。
自然が責任をとるなんてことはひっくり返ってもあり得ません。
僕たちは人間であることと同時に生き物であるということを忘れがちです。
震災は、社会の中で人間という名前で活動する僕たちに「ただの生き物」であることを何度でも教えにきます。
備えあれば憂いなし
後悔をしない為に備えは絶対に必要です、言われるまでもなく。
それは生き残る為にということに限らないのではないかと考える事があります。
自然の中ではあっさりと死んでしまうからです。死にたくないと思いながら死ぬのが災害です。僕たちは生きる備えと死ぬ備えをすることで納得のできる時間を活動できるのだと思います。生き残るための最善の準備と、生き残れなかった場合の最善の準備をして行きたいと今は思っています。
○感染者推移について○
先月より続いた緊急事態宣言の効果あってか、全体期な感染者数の減少がはっきりと見られます。ワクチンが国内に入ってきたという報道もあり、少し明るい方向へ進捗している実感があります。
++経済活動はもちろん生活の要ではありますが、
まずは皆様の安全と健康をお祈り申し上げます。
皆様の貴重なお時間を遣い、最後までご拝読いただきありがとうございます。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。